nikkie-ftnextの日記

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ありがとう、ナカミチさん。私、ずっと、幸せだったんだね(#kichijojipm 僕はまだ見ぬ誰かを動かすために登壇をする。感想)

はじめに

開演果穂ちゃん、かわいい... nikkieです。

遅くなりましたが(そのうえ超部分的ですが)大吉祥寺.pm感想エントリです。
非常に刺さったナカミチさんによるトークについて(だけ)書いていきます。

目次

nikkieから見たナカミチさん

2021年のオープンセミナー岡山の発表資料が印象的でした

論語と向き合う Advent Calendar」という1人アドベントカレンダーも拝見していました。

それでは、大吉祥寺.pmでのナカミチさんの発表です。

僕はまだ見ぬ誰かを動かすために登壇をする。

登壇は幸福に直結している
と、私は信じている (slide=5)

3人の哲学者を引いて「登壇と幸福」について語られました。

「たった一人、誰かの役に立ったという事実が あなたを幸福にする」

論の展開が見事でした

私の脳内メモ

  • たった一人、誰かの役に立った=他者貢献
  • この他者貢献は「その人は何者であるか」への小さな答えにもなっている
  • また、人と人が結びついた(友愛)

感想

「私、ずっと、幸せだったんだね」

私自身の経験から、「たった一人、誰かの役に立ったという事実が あなたを幸福にする」はとても刺さりました1

実際、登壇中の質疑や、登壇後に個別に話したとき、実況ツイートを後追いしたときなど、(小さなことでも)「誰か1人の役には立った」と思えると「その登壇をしてよかったあ〜」という気持ちになるんですよね。
私は登壇(やアウトプット)を通して自分の中の知識がつながる・深まるのが好きでやっているところが大きい2のですが、それでもたった1人でも役に立ったという感覚は別の大きな達成感をもたらします。

登壇に限らず、毎日このブログを書いたり、自作のOSSを公開したりもしていますが、登壇に限らずこれらが誰か1人にでも役に立ったんだなあと感じられるのは、それはもうめちゃめちゃ嬉しいですね。
例えば、「ブログのあの記事が参考になりました」という声をいただいたり、OSSにissueやpull requestをいただいたり。

過去の自分に伝えるという私のアウトプットスタイルを述べた記事

過去の自分向けのアウトプットが他の方にも伝わったら、もう嬉しすぎますね!

ここがナカミチさんの今回の発表で、説明を得た感覚でした。

「たった1人でいいや」

「たった一人」で思い出す作品があります。

君嘘は奏者の話ですが、「たった1人へ」という姿勢は登壇にもつながるように思い出されました。

贈り合い

登壇した時点で、(それが初めての登壇だったとしても、)自分以外のたった一人の役に立つは達成できていると私は信じます。
ただし、届いた方が役に立ったと表明していないので気づくのが難しいかもしれないですし、もしかすると未来の誰かかもしれません。

逆に言えば、「ここに届いた1人がいるよ!」ということを、質疑や実況や感想ブログとなんでもいいので見えるようにすることで、登壇者はめちゃめちゃ救われるわけですね。
技術コミュニティの中で、発表者と聴衆、互いの贈り合いだなあと思います

終わりに

大吉祥寺.pmのナカミチさんの登壇の感想エントリでした。
ナカミチさんの発表から得たものは大きく、そして鮮烈で、時間が経つ中でようやく記事に落とし込めたという感覚です。
改めて、発表ありがとうございました!

また大吉祥寺.pmの運営の皆さま、参加者の皆さま、ありがとうございました。
この先の5年も楽しみにしています!(15年で超吉祥寺.pmとのこと)

P.S. 大吉祥寺.pmだけにユーフォの大吉山!


  1. 「私、ずっと、幸せだったんだね」は、このブログに何本も記事がある『アイの歌声を聴かせて』から3。布教スライド貼っときます
  2. 考察した結果、私は「書ける変態」という結論です!
  3. (脱線)「サトミ!登壇すると幸せになるんだって!だからアウトプットしよ?」